福井県(カニ県)

福井県は旧越前国と若狭国からなっています。いったんは滋賀県と石川県に編入されてしまいましたが、明治14年に現在の形となりました。

 

越前は継体天皇の根拠地になったことでも分かるとおり、古代から開けた土地で、継体天皇の父親は近江高島郡の出身ですが母方が越前でした。今でも、福井市には継体天皇の像が立っています。

 

古代の国府は中部の武生市付近だったのですが、戦国時代には朝倉氏の支配下に置かれ、福井の郊外の一乗谷に館と京都風の都市が営まれました。険しい山に囲まれた谷底に比較的広い平坦な土地が拡がっており、鉄砲出現以前の常識からいえば要害の地でした。最近、発掘が進み建物も復元されて観光地化しつつあります。

 

朝倉氏が滅んだあと領主となった柴田勝家は、その当時は北之庄と呼ばれていた福井に城を築いて越前支配の中心としました。現在の城は徳川家康の次男結城秀康によって柴田時代の城よりやや北方に築かれたのです。福井藩はそれ以後、御三家に次ぐ格式を誇り、幕末には名君と呼ばれた松平慶永(春嶽)が橋本左内らを登用して活躍しました。

 

福井市内は戦災と福井地震で二度にわたって大きく破壊され、今では古い城下町の趣はほとんど見られませんが、越前東部では、曹洞宗の本山である永平寺があります。

 

また、勝山市には地元出身で大阪でタクシー会社を経営する多田清氏が大仏や天守閣など大建築物群を建てました。商業主義を揶揄される声も多くありますが、これはこれでなかなかの偉容です。

 

港町敦賀は古代から開け、神功皇后が遠征に旅立った地でもあります。気比の松原は静岡県の美保の松原、唐津の虹の松原と並び称され、お盆の灯籠流しでも有名。この敦賀から若狭にかけては、原子力発電所銀座として関西のエネルギー基地となっています。そのお陰で道路整備などは進んでいますが、実際の鉄道事情は悪く、北陸新幹線に大きな期待をかけています。

 

若狭の中心は、京極氏によって開かれた小浜市で、国宝の本堂と三重塔で知られる明通寺など美しい社寺が多数あります。産業としては、繊維工業、とくに織物が盛んですが、沖縄返還の代償に結ばれ大問題となった日米繊維協定のころから皮肉にもアジア諸国の追い上げで国際競争力を失いました。福井土産として、絹の白生地のイメージを長方形に切った求肥で表現した羽二重餅は素朴ながら北国の風情を感じさせる名品です。

 

日本海の海岸美はここでも素晴らしいが、とくに北部の東尋坊の断崖絶壁、中部の越前海岸に咲くスイセンの花の群落、若狭では優美な三方五湖などがみどころ。波の荒い日本海は海の幸に恵まれ、魚はなんでも美味しいのですが、越前蟹は日本料理でも最高の贅沢な素材として知られています。三国や越前海岸などにも名のしれた料亭はありますが、福井駅の駅弁カニ飯は、ご飯にまでカニの内臓で隠し味をつけた傑作。

 

福井県民の県民性は柔軟で新しもの好き、経営感覚にも優れ貯蓄も好きと言われています。通産官僚で「町人国家論」など論客として知られた天谷直弘氏、『サラダ記念日』でデビューした歌人の俵万智氏あたりも福井県らしい人材と言えるのではないでしょうか。

 

作家の水上勉氏は『越前竹人形』など福井県を舞台にした小説を多く書いていますし、福井県人ではありませんが、歌手の桜田淳子さんが統一協会の合同結婚式後、敦賀に住んでいることから突然ワイドショーでこの町が有名になったということもありました。